文責:小森廣樹(42学機)
10時日立駅をタクシーで御岩神社へ。ここから高鈴山への登山出発。高鈴山は62 3mあるが、出発点がすでに約300mあるので実登山の高さは300m少々だ。先導は小宅さんと地元在住の小沼さんの二人。山道は緩急相半ばと登りやすい。それに岩もあり、周りの木々にも変化があって飽きさせない。途中で切り立った岩場があり、ここで岩登りの訓練をしているグループがいた。頂上に近づくにつれ馬酔木が多くなって、これのトンネルのような所もあった。
12時40分高鈴山山頂へ着いた。やはり眺めがいい。が、やや薄曇りで筑波山までは見えなかったのが残念。多くのメンバーはここに立つのはほぼ50年ぶりであり、やはり感慨深そうだ。頂上に雨量観測の大きな塔が立っている。ここで昼食、そして下山。
途中、コースのポイントであるショウジョウ袴の群生地に出会った。葉も薄紫の花も落葉に半ば埋もれて目立たないが、健気に葉をいっぱいに広げて生えている。このような低い山に高山植物がよく生えるものだと思う。皆懸命に写真を撮った。
下って助川山頂の展望台へ。日立の街を隅々まで展望した。いずれも昔の記憶を呼び出して指でさしながら場所の特定をし始めた。眼下の街は50年の年月に磨かれてかつての頃に比べ明るく見える。
ここから下って助川海防城跡公園を経由して街中へ。平和通りに出た。我々が学生だった頃この辺りは一面に白っぽかったが、いまは高圧洗浄をしたようにきれいな街並みに変わっている。桜はほころびそうなところまでいっているも開花はまだだった。しかし桜祭りは予定通り始まっていた。日立駅まで歩き、特別参加の蔀さんはここで別れる。ここからから小宅さんと小沼さんの車で河原子の宿・東洋館へ。青野さんも自宅から乗ってきた車で移動。
東日本大震災の津波で海岸に面した家は床上まで浸水する被害が出たとのこと。 風呂の後、夕食では海の幸たっぷりのご馳走がでた。
宿の部屋は3階で、真正面に見える日の出がきれいだと云われていたが、これを見たのは前田さん一人だけ。昨夜は皆遅くまで話し込んでいたため、そのほかの人たちは日が昇ったあとに起きてきた。
8時半、宿を出発。茨城大学工学部のキャンパスに車で向かう。途中、1kmもある長いアンズ並木を歩いて移動。ちょうどピンク色の花が満開で、淡い香りが匂ってくるようで清しい。実にいい朝の散歩になった。
続いて案内された所は、こちらで住宅の設計販売会社を経営している小沼さんの会社のモデルハウス。環境とエコの未来に向けた指針を示す理想的な家だ。おいしいコーヒーもいただいた。(あわせて小沼さん自署の「淳情物語」なる本もいただく。家に帰ってから拝読しよう)
ここから茨大工学部へ。まず正門から見えるのはいくつかのビルとたくさんの建屋。全体がきれいに整えられており、これこそ近代のキャンパスの名にふさわしい。50年前とは、実に久しい年月かと思う。しかし、実験室や工作室またグラウンドなどの配置は昔と変わっておらず、かつて上ったであろう階段もそのままあった。
ここで青野さんは郷里の千葉へ向かうため別れた。
青春の思い出の場所をあとに、神峰公園に向かう。日本の桜100選にふさわしく、たくさんの桜の木は以前に増して立派であった。花はつぼみが大きく膨らんで、明日にでも開花する様子。山全体が花で白っぽくなる姿を想像する。
頂上にある「吉田正作曲記念館」へ行く。国民栄誉賞をもらった吉田正は日立市名誉市民にもなっている。記念館は5階建。この一等地にこのような立派な建物。日立市民が彼のことをいかに大事にしていることかがわかる。入口で、吉田正作曲の歌を自由に選べるヘッドホンを借り、好きな曲を聴きながら皆それぞれに館内を見学した。
五階にある軽食店で昼食。あらためていいところだな、と眼下に広がった街を感慨深く眺めた。
この二日間のハイクは無事に終わった。ここを最後に、今回のこの楽しい企画と、そして案内をしていただいた小宅さんと小沼さんと日立駅で別れ、14時発のスーパーひたちで帰路についた。