多賀いちょう写真部
「平成18年度春の撮影会」報告

平成18年6月19日(月)

文責:小林 渡(38学電)

 多賀いちょう写真部「平成18年度春の撮影会」は6月19日(月)アジサイ寺で有名な北鎌倉「明月院」で実施しました。当初16日(金)に予定しておりましたが朝方の豪雨のため延期しました。当日の天候は薄日のさす状態、今が見頃のアジサイ、花ショウブを求めて境内に大勢の見学者が訪れておりました。国指定史跡、明月院の由来は少々かたぐるしいのですが案内書によれば「明月庵の創建は今から830年前、永暦元年(1160)にはじまる。この地の住人で、平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養として俊道の子、首藤刑部太夫山ノ内経俊によって創建。その後、康元元年(1256)、北條相模守時頼公によって、この地に「最明寺」を建立(現在、明月院西北の場所)。時頼は30歳で出家、僧名を覚了房道崇と号し、弘長3年(1263)11月12日、37歳で卒去。のちに北條時宗(時頼の子)、が最明寺を前身として「復源山禅興仰聖禅寺」を再興。開山は建長寺開山大覚禅師の五世法孫の位地にあった密室守厳禅師。康暦2年(1380)、時の関東公方足利氏満が管領上杉安房守憲方に禅興寺の中興を命じ、伽藍を完備、寺域を広大にし、支院を配置させた。足利三代将軍義満天下の時、大寺院を選ぶにおいて禅興寺を関東十刹の一位とする。明月庵は「明月院」とあらためられ、支院の首位におく。本尊 聖観世音菩薩。その当時の「明月院絵図」にありし日の堂搭伽藍を偲ぶ。禅興寺は明治初年廃寺となり、「明月院」のみ残し今日に至る。現在 臨済宗建長寺派 福源山明月院」

以上

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今が見頃のアジサイ
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後庭園への眺め
花ショウブが見られます
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後庭園の花ショウブ
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野生のアジサイ
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鎌倉石の参道
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枯山水庭園
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茶室・月笑軒の乙女
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大勢の見学者で賑わう
明月院入口




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