卒業50周年記念発振会総会報告
2013年6月12〜13日

昭和38年に卒業した茨城大学工学部電気工学科クラス会は、多賀校舎に移った2年次の時「発振会」と命名した。会長兼幹事長として約52年間発振会を牽引してきた廣瀬行一君が、昨年の1月突然の病魔に襲われ5月に黄泉に旅立ちました。故廣瀬君は生前に50周年記念総会開催を計画しており、その意思を継いで、橋本政巳新会長を中心に恩師の保坂宗重先生、寺門龍一先生をご招待し、6/12〜13日総勢24名の出席の下、北茨城の五浦観光ホテル大観荘で「卒業50周年記念発振会総会」を開催しました。

初日は五浦天心記念美術館や茨城大学が管理する五浦美術文化研究所を見学しました。東日本大震災で流失した六角堂も再建され、岡倉天心の面影を偲び、また横山大観が揮毫した天心の言葉「亜細亜ハ一な里」の石碑、天心邸などを見学し当時の日本の近代美術に思いを馳せました。

懇親会では、まず廣瀬君を始め既に鬼籍に入られた9人のご冥福を祈って黙祷を奉げ、その後、会長挨拶、恩師挨拶、参加者全員の近況報告など和気藹藹と話も弾み、最後に橘弘君によるクラリネットの伴奏で校歌を斉唱し総会を締めくくりました。特に今回作成した「50周年記念 38発振会の栞」の中で、学生時代の青春アルバムを懐かしみ、保坂先生の「三世の絆」と「あちらへ行ったら真っ先に廣瀬君に会い、今回のことを話する」など、寺門先生の「平成24年歌会始詠進歌入選」や、参加者の色々な余生話に花が咲き、現地幹事を仰せつかった私としても、参加者の皆さんに喜んで頂き感謝感激しながら、楽しいひと時を過ごす事が出来ました。

集合写真
写真後列左から:根本勤、石井、根本陽、原、大竹、綿引、小島、小林
 中列左から:嶋崎、菊池(隆)、寺内、橘、杉山、熊谷、高萩、田川
 前列左から:兼子、内田、橋本、寺門先生、保坂先生、佐々木、後藤、坂野

・学び舎を出でて五十年祝ぐ集ひ 旧交温め心も満つる  心に思ひ出ありがとう
・五浦の潮騒聴きつつ酒を酌み 話も弾むクラスの集ひ  心にをありがとう
・恩師等の元気な姿眼に映し 明日の勇気与えて呉れる  心に活力ありがとう
・近況の友の話に活がある 余生の夢を与えて呉れる  心に青春ありがとう
・学友の奏でる校歌高らかに 音色優しく五浦に響む  心に感動ありがとう
・数々の橋本会長の気配りに 集ひし皆も喜び増しぬ  心に温もりありがとう

翌日は風船爆弾放流地跡である大津町長浜に立つ「わすれじ平和の碑」 (第二次世界大戦中、和紙とこんにゃくのりで作った直径10mの風船爆弾を、アメリカ合衆国向けに約9,000個放流した) を観ました。さらに長浜海岸を北上して,東日本大震災で大きな被害を受けた平潟港に立ち寄り、東日本震災の復興モニュメント「鮟鱇」の石碑を手で擦り、我々も速やかな復興と安寧を祈りました。その後勿来の関に行き、勿来関文学歴史館では、「勿来」の由来を和歌に詠まれている「なこそ」で紹介があり、さらに源義家などの歌碑の並ぶ詩歌の古道を散策し,古を偲びつつ第1次の解散をしました。

帰途会員10名(橘、高萩、綿引、原、佐々木、大竹、橋本、後藤、小林、兼子)が故廣瀬君宅を訪問し、奥様にお会いし会合の無事終了を報告すると共に、お墓参りもしました。奥様のお喜びも一入であり、また彼も草葉の陰でさぞかし喜んでくれたことと思っています。 お墓のすぐ近くには樹齢1,600年と言う地蔵欅(茨城県指定天然記念物)があり、彼は幼少時代にはここで遊び大志を抱いたのではないかと思いました。

総会終了後、保坂先生、寺門先生、故廣瀬君の奥様を始め多くの皆さんからのお礼のメールを頂きました。会長以下幹事諸兄の協力で成功裡に記念行事をなし終えることが出来たと感謝しています。

更に熊谷さん、兼子さんからは下記の俳句、短歌が寄せられました。(幹事 内田 茂)

<俳句> ・さみだれの湯夜に語らふ六角堂  (熊谷 文男)
・ときわ路の五月雨の中同窓会
・水(アメ)馬(ンボ)の水面すいすい勿来関
・芭蕉碑を詠み合ふ梅雨の勿来関
<短歌> ・大観荘寄せ来る波の音高しされど見えざり靄の中なり (兼子 八郎)
・卒業後五十年経ち集ひゐる発振会の四割の友
・五年毎に開き来れる発振会図らずも我皆勤なりき
・高齢の師を迎へての発振会師の熱弁を耳澄ませ聴く
・卒業の証書手にして日光を案内しくれし君は今なし
・卒業後四十九年の歳月を発振会に尽くしたる君

大観荘からみた五浦海岸と六角堂 地蔵欅(廣瀬君はこの大木の近くの墓所に眠っている)
ここで第2次解散
霞の中の六角堂の写真地蔵欅の写真
勿来の関(源義家の銅像):ここで第1次解散
勿来の関と義家の銅像の写真
−このページのトップへ− −目次へ戻る− −ホームページへ−