ミニ発振会
(昭和38年電気卒)

文責:兼子 八郎

 昭38電気のクラスではクラス会を発振会と名付けて、卒業後5年毎に集ってきました。還暦を過ぎた頃からリタイヤ組が増えてきて毎年やろうではないかとなりました。これがミニ発振会と言うわけで、最近では一泊旅行の形がスタンダードとなってきました。
 今回の幹事は千葉県在住の高萩君と綿引君が担当し、安房小湊に泊まることになり、6月11日(月)14:00に千葉駅付近に集合して、ホテルから迎えに来て貰ったバスに乗り込みました。参加者19名のうち集まったのは18名で、1名は午後4時と勘違いしていて乗り遅れ別途一人で小湊へ直行となりました。  途中君津市にある鹿野山神野寺に詣でました。ここは推古天皇即位6年9月聖徳太子の創建とか書いてありました。鹿野山神野寺での集合写真バスが小湊にはいってからホテルに着く一寸前に、件の彼が歩いているのを発見しましたので彼をピックアップし、ここで参加者が全員そろいました。
 それにしても夕食の品数の多さにびっくり。でもよく食べ、よく飲みながら近況報告などをしあいました。 宿での全員集合写真
宿の近くには日蓮上人の生誕地故に創建された誕生寺があります。朝早く起きた友人の多くはこちらに参拝しましたが、私は昨年の正月にお参りしたことがあるので、浜辺の散歩を選びました。宿から15分ほど歩いた所にあづまやがあり、先の皇后陛下が昭和48年の若潮国体で、この地に行啓された折りにお詠みになられた歌
「なみのまに すがたをみせつつ たいのむれ ふなべりちかく あまたよりくる」
が当時の入江相政侍従長の書で彫られていました。
 ところが上記の歌はその場では全部は読み取れないほどになっていました。文字の彫り方が浅いのです。多額のお金を費やして、30年ばかりで読めなくなるようなものを作っていることになりますね。彫った石やも悪いと言いたいところではありますが、注文仕様が曖昧なこの世の中ということで、現状はこんなものなのでしょう。でも小湊の観光対策上は彫り直ししてはどうかと思うのですが、今更もったいないからそんなことは出来ないよとなるのでしょうか。 鯛ノ浦遊覧船乗り場の写真
 朝食後に参加者全員で鯛の浦遊覧を楽しみましたが、朝方に訪れたあづまや付近まで船は行き、あづまやが出来た経緯や前記の歌が紹介されました。 あずまや 遠景の写真そして帰途につく頃船は速度を落とし餌を撒きはじめました。すると魚がたくさん寄ってきましたが、私が詠むと
「鯛の浦船に寄り来るしまあじの群れより深く二尺の鯛も」
となりました。撒き餌の関係が有るかどうかはわかりませんが、数多寄ってきたのは縞鰺でした。
 後日その時の船縁を撮った写真をみると 船縁に寄せてきた魚の写真
「鯛の浦船に寄り来るしまあじの群れに交じりて鯛も幾つか」ぐらいでも良いのかも知れません。
 実はわたくしが高校3年の時猪苗代湖でヨットが転覆し、友人1名が帰らぬ人となり、生徒会で遭難之碑を建立しました。その時歌が募集されて「君ねむる湖畔の空は夕焼けてはるかなりけり学舎の鐘」という同じクラスメートの作品が選ばれました。ところが何年か前に同期会をやって彼の地へ詣でたところ、件の碑の文字が読めなくなっていました。そこで碑を彫り直す事業会を立ち上げ3年前に完了しましたが、文字の彫り直しは相当深いものとしました。

(写真の上でクリックすると大きな写真が見られます)

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